スモール イズ ビューティフル ラージ イズ ナンセンス
市場原理の経済至上主義、結果主義、費用対効果、などなど目に見える大きな結果を出して実証がないと説得力とか社会的信用が得られない世界もある。
だが、このような実効性を証明できない、計数管理ができない「小さくて見えないが美しい世界」もある。それは、ボランティア精神に根ざした日常的な行為とか、教育、文化、芸術、コミュニティづくりなど、皆で思いと知恵と行動を寄せあってカルチベートする(耕そう・まこう・育てよう)世界であり、社会の豊かさや温かい人間関係をつくっている 「さもないこと」 の地道な営みで目立ちにくいことだ。
このような世界においては、必ずしも大きいことだけがベストではない。むしろ小さくとも確かなものの意義と役割がある。それらの市場原理から外れた非経済的な価値こそ、実は今日の殺伐とした世相の中では大切なのだと思う。
最近、「無縁社会」という言葉がクローズアップしている。特に高齢化が進み、超高齢社会をむかえて深刻な問題となっているのが「一人暮らし老人の孤独・孤立」である。地域の中でただ一人だけが小さな社会の中で閉じこもっている。日常の関係の中で、家族や近所の人々などとも疎遠となり、親密に相談に乗ってくれるような人との関わりもなく、明日への不安を抱きながら暮らしている。このような現実があちこちから聞こえてくる現代社会である。
一人で暮らす孤独な高齢者に対する公的施策は、介護保険で全てのサービスをまかなう仕組みの中で、うっかりすると気が付かずに忘れられてしまいがちな存在として、きめ細かな対策がなされていない ことも多い。
公的施策を実行する行政の視点が 「公共・公益・公正・公平」 というマクロであればあるほど、最大公約数の大きな解決を急いで完結しようとする傾向にある。だが、寂しい孤独の悩みや生活の苦しみを持ちながら不安な日々を送っている人が、一人でもいたならば、ミクロなことに目を向けて解決の道探しに努力する配慮が必要なのではないだろうか。
もちろん、「公助、共助、自助」の社会福祉耕造の中で、自分から努力する「自立の支援」が基本であることは言うまでもないが、そこに今ひとつ、もう一歩の支援の仕組みづくりが欲しい。それらの努力をしないで放置している社会は、人間が人間らしく生きることをめざす「もったいない文化」とはほど遠いものになってしまうだろう。
合理的・効率的で大きければいいという世相ではあるが、今改めて非合理的・非効率的で手間がかかるような小さな営みが大切だと自覚しながら行動することが求められている。
小さいことは、むしろ真に求められているものを創り出す大切なニーズの基であり、その過程は知恵を出して工夫する楽しい営みである。その結果は人間が生きていくうえでの「安心・安全・幸福」を導くたしかな道であると思う。そして、それは人間ならではの美しい行動であると思う。
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