2011年3月8日火曜日

旅人よ/朝の力を信じなさい

旅人よ

白い雪原に 旅人ひとり
黒々と横たわる川を 渡ろうか
どっちにしようかと 迷っている
森の神さまが 優しくささやいた
こちらにお出で 一休み
心の荷物を 預けなさい
人生峠は いろいろだ
いい加減でいいんだよ
ありのままに 受け入れて
なるようにしか ならさいさ
一夜が明ければ 朝が来る
朝の力を 信じなさい

冬の日射しが温かい山梨県ボランティア・NPOセンターの一室で、彼女は泣きながら話し出した。

「中学1年生の息子が学校へ行かない。何不自由なく育てたはずなのに。学校で何があったか判らないけど。
学校に行けない息子が理解できない。だけど、我が子がかわいそうでしかたない。
自分としては精一杯やっているんだけど、これから先どうしたらいいんだろうか。
同級生の母親などにはとても胸の苦衷を相談できやしない。担任の先生に相談しても埒があかない。学年主任の考えも「親の責任だから」とも言いたげな感じで、心から相談できるような心境になれない。
私自身がおかしくなってしまったようで、病院にいったり、カウンセリングの先生に相談したりして、ようやっと落ち着いている状況なんです。」

不登校や閉じこもりの問題は大きな問題ではあるが、その実態は個別的で画一的に対応できるものではない。
いまや社会問題として対応しなければならないが、さて・・・・・・。

僕は、彼女の話をずううっと聴いていた。一つひとつ、彼女にも言い分があり、友だちにも相談できない辛い思いや、学校への相談結果が思わしくないことへの怒りにも似た苛立ちが、いやというほど伝わってきた。
話しを始めて3時間。冬の日射しは早くも西に沈む頃になってしまった。
僕は、その間何をしたんだろうか。結果的には何もしなかった。ただただ、泣きじゃくりながら強い口調で語る彼女の心を受けとめていただけだった。
でも、相づちを打ちながら言った。
「お母さん。母親は家庭の太陽だよ。貴方の笑顔が家庭を変える力だ。僕の小さかった頃、母の笑顔が嬉しかった。でも、愚痴ばかり言っている母もいやだったけど、かわいそうに思えたよ。きっと息子さんも貴女の心の動きを敏感に感じながら、毎日を暮らしているんじゃあないかな。」
彼女は、時々語る僕の話を聞きながらだんだん優しい表情と口調になっていった。そして、こう言った。
「わかりました。今日から家に帰ったら、ありがとうって言葉をいっぱい使うようにしてみます。」

思いっきり泣きながら話し終えた彼女は何を会得したんだろう。その表情は、疲れから癒された感じだった。

「ああ、よかったなあ。今日は、これで帰りましょう。また、いつでも来てください。一休みのために。」

2010年11月19日金曜日

社員のボランティア活動支援制度に拍手

UTYの「渡辺ブログ」できずなエコから生まれたボランティア活動支援制度の話はいいですね。
ちょっと難しい内容ですが、平成10年3月にNPO(特定非営利活動促進法)法が制定されて、市民と企業と行政の三セクターの協働により新しい公共が創られる気風になってます。
このような社会の新しい動きの中で、企業のボランティア活動支援が意義があります。
先日、11月13・14日に小瀬スポーツ公園で開催された県民の日記念行事では、NPO法人法人山梨県ボランティア協会、生活協同組合パルシステム山梨などが取り組んでいる「もったいない甲斐ネットワーク」の市民活動とメディア(UTY)が協働して啓発活動を行いました。
NTY職員による「紙芝居上演」、歌手の岩崎健一さんとともに行った「もったいない音楽隊」のミニパレード、県立大学生も参加したチラシ配りと語らいなど、楽しく有意義な企画となりました。その成果は、企業と市民活動の協働による成果です。
企業と行政とボランティア・NPOなどの市民活動、異なるものが知恵と時間と思いを寄せあって元気な地域づくりに発展していくことでしょう。
いづれにしても、画期的な制度の誕生に拍手を送りたいですね。

若い力と老いの知恵をつなぐ絆を大切に

<PC故障のため時節外れになってしまいました。>


5月22日(土)午後「若老サロン」を開催しました。
山梨県ボランティア・NPOセンターに若者たちと、かつての若者たち?(60代から90代、最高齢は96歳)が24名集い、グループワーク方式で話し合いました。
参加した大学生は、日頃接する機会の少ない高齢者(老人)とのざっくばらんな交流の中から何を感じたのでしょうか。
戦争の体験談、平和の問題、時事問題として沖縄基地の問題、教育の問題、とかく薄れがちな心と心のふれあい、コミュニケーション、失敗を恐れるために臆病な心情や行動など、若いが故の未知の社会に対する「老いの知恵」を受け継いで成長して欲しいと願う大人たちは、自分の人生経験をふまえて真剣に語りました。

今、無縁社会とか人間疎外とか人間関係におけるマイナス要素ばかりがクローズアップされていますが、このような若さと老いの知恵をつなぎあう絆の大切さを感じました。
若老サロンは隔月で奇数月の第4土曜日の午後行います。今年の特色は、大学生が企画運営に関わり、今回参加した4大学の学生がキーパーソンになって仲間づくりをしていくこととなりました。

サロンでのグループワーク話し合いはいつまでも続いており、時間で中断するのはもったいないような
雰囲気でした。テーマもなく、結論も出さず、相手の発言を否定せず、自分の言葉で語り、他者の言葉にも傾聴するという自由なサロンです。
何と言っても、終わった後に「心のおみやげ」をもってさわやかな気分で帰れるって、いいよね。

沙漠を不毛の地にしておいては勿体ない

<PC故障のため時節はずれですが悪しからず。>

猛暑続きの夏でした。まだまだ続きそうですが、台風のおかげで一休み。

今年の夏、中国の内モンゴル自治区恩格貝の沙漠緑化に行ってきました。地表温度は50度くらいなのに、乾燥しているため日本より涼しい感じでした。

「人間は沙漠に勝てる。」と言い切った遠山正瑛先生(山梨県富士吉田市出身)の言葉どおり、1991年からこの20年間、日本沙漠緑化実戦協会は1万人以上の植林ボランティアを送りこみ、360万本のポプラを植えるという大きな成果を収めました。
その結果、20年前は5軒に5/6人余りの遊牧民が住んでいたのが、今は1700人が定住居住し、何と沙漠への出稼ぎが500人と増えているという。沙漠開発は、ポプラの植林、緑化、動く砂丘を止めて畑に変え、野菜農園を開拓しました。今、かつての沙漠は観光産業を興して、観光農園、ビニールハウス栽培、ワイン工場建設、ホテル建設、学校建設などが進み、貯水池にはモーターボートが走るなど、環境客がわんさと来る一大オアシスとなりました。

20年前、遠山先生は延々と広がる沙漠を眺めながら、「この広大な沙漠を不毛の地のままで放置していては勿体ない。沙漠開発は人類の食糧問題であり世界平和への道だ。」と語りました。「何年くらいかかるでしょうか。」との愚問に、「500年か1000年か、そんなことは分からないけど、やればできる、やらなければできない。」「必要だと思ったら考えること、考えていいと思ったらやること、考えてもやらなければだめ。」ときっぱりと言いました。

あれから20年、不毛の地であった沙漠は緑になり、森になり、草原になり、人が集まり、村をつくり、沙漠産業を興して活気にあふれています。散歩をしていたら、給水車で野菜畑やポプラ並木に水をやる人、道路沿いの雑草を刈る夫婦、出稼ぎの宿舎づくりの工事に汗を流す人・・・・出会う人々の笑顔が明るく元氣いっぱいでした。

今後、日本からの植林ボランティアとともに、間伐による森づくりや、農業振興に新たな知恵を出しあって沙漠開発は進んで行くでしょう。すでに中国政府も本腰を入れていますから、遠山先生の実験的な功績が評価され、モデルとして活かされて中国全土に広がれば、広大な緑の大地が実現し、世界でも有数な農業大国となることは夢ではありませんね。
緑色大使の称号を与えられた遠山先生の偉業は、中国の人々に永遠に語り継がれるでしょう。
諺に、「井戸を掘った人を忘れない。」

テスト

テストです。PC故障のためしばらくお休みしていました。

2010年7月26日月曜日

日本人のおもてなしのこころ「余情残心」

何か大切なことをし終わった時にそれっきりではなく、その後も胸にそっとしまっておきたい。心に余韻として残したい…。 それは人の出会いであったり、ふと見上げた大空の青さ、流れゆく白い雲であったり・・と 何気ない一つひとつの出来事がとても大切に感じます。

先日のNHK番組 「ニュース7”おもてなし”で世界を狙え」 を見ながら考えさせられました。日本人の茶の湯の文化「おもてなし」は、現代の画一主義、合理主義、結果主義の企業感覚、市場原理では計り知れない重みと深みのある日本人の心の源流であるように思われます。
企業抗争の激しい世界の市場で、今改めて日本人の「おもてなし」が問われており、経済的合理性に対抗しうる「物からこころ」の時代に相応しい言葉であるということ、しかも世界に通用する誇れる日本文化として気づき再創生し、価値を高め育てていく必要がある、というような内容でした。

番組を見ながら、この考え方は「もったいない運動」と共通しているなと共感しながら、ふと最近会った二人のことを思い出しました。人間は、一期一会の縁から始まり、逃れようもない必然的な縁の別れとなります。
一人は、母方の遠縁の方で、僕とは血のつながりはない、本来の縁者の奥さんなんだけど、その縁者に関する親戚関係はほとんど他界してしまいました。だが、なぜか彼女は身内のように親しく思えて、山梨県ボランティア協会の会員にもなってくれていました。その会費を届けるために、電車に乗り、猛暑の中を山梨県ボランティア・NPOセンターまで老いた足を運んで来てくださったのです。

「だんだん、お互いに寂しくなりますね」と言って別れた彼女をセンターの入り口で見送りました。ボランティア通りを歩いていく彼女の姿が見えなくなるまで見送りましたが、彼女もまた名残が尽きない感じで振り返り、会釈をしてまた振り向きながら道門を曲がって行きました。
彼女の姿が遠く消えるまで見送った僕は、「そうだ。これが余情残心」なんだと胸から沸き上がるような温かさを感じました。

もう一人は、父方の親戚で、大阪で会社経営している偉丈夫な従兄弟でした。昨年6月に僕の母が他界した時にも来れなかった。気になりながらつい機会をつくれなかったが、思い切って仏前で祈りたいということで来ることにしたと、遠路大阪から車を運転してやって来ました。
10時来訪の知らせがあったので、僕は男だてらに慣れない準備をしました。お茶の用意はできていたので、玄関前を水で清め、花を水で潤わせ、家中の窓を開けて涼を呼び込み、玄関から上がる入り口の角に小さな花を生け、来客を迎えました。僕としては可能な限りの「おもてなし」の気配りでした。

久方の再会を懐かしみながら、母のこと、父のこと、姉のことなど話は弾んで充実した愉快な一時を過ごして従兄弟は帰って行きました。
駐車場まで見送り、車がゆっくり走り出してからもなお、彼方に去っていく姿を追いながら、血のつながり合う者は次第に少なくなってしまうなあと、一時の深い感傷に浸りました。

「無縁の時代」と言われる昨今ですが、血縁、地縁、さらに新たな知縁、社会的親と社会的子の縁など、新しい出会いの中から人間の関係は創られていきますし、またそうしたいと思います。
人は、誰も、一人では生きていけない。このことの意味の深さを考えながら、日本人の心の奥底に潜んでいる「おもてなしのこころ」を呼び起こし、出会いの有り難さに感謝し、その意味と価値をさらに創造的に高めていかなければ、勿体ないなあと感じた二つの出会いでした。

2010年6月10日木曜日

マイナスとプラスのもったいない

YBSラジオ放送「私のもったいない」

過日、YBS(山梨放送)ラジオ番組のコメンテーターとして「私のもったいない」について約3時間、若いアナウンサーと一緒に、リスナーがファックス投稿した意見や感想を交えて話しあった。
二人のアナのテンポの速い軽妙な会話についていくのは大変だったが、楽しい時間があっという間に流れてしまった。番組の中でリスナーの意見に対して「もったいない大賞」を選考する役割を与えられた。
「私のもったいない」についてたくさんの方から多様な生活感覚の視点で寄せられた中から選んだのは、桃の摘果作業を手伝って感じたことを言われた若い女性の言葉だった。
「桃の木の枝にたくさんの実がついている。その中から少数の売り物の桃のために小さな桃を摘んでしまうけど、これって何とか活かせないか?」という娘に、「そんな小さな実は使いものにならないよ」という母と娘の会話だ。
売る桃づくりのために小さな桃は捨てるしかない。確かにそうかもしれない。だが、桃の実がなるまでの長い年月と手間暇の時間を考えると、折角生まれた桃の命を簡単に粗末にはできない。何とか小さな桃の命を活かすことはできないかと考える考え方に共感して「もったいない大賞」とした。
番組の締めくくりに二人のアナと話し合った。「もったいない」というと無駄遣いをしないとか、節約するとか、省資源・省エネのように、とかく消極的に受け身の見方で考えて、「そのくらいいいじゃないか。けちくさいよ。」などと言われがちだが、それは今日の便利社会を代表するような言葉だと思う。
確かに、失うことはもったいない。だが、もうひとつの面から考えると、せっかくの命や自然の恵みをそのままに放置したりすること、それらの持っている「有り難い価値」を活かさないことももったいない。
失わないこと、節約することなどの工夫も生活の中の「もったいない」であるが、これらのことがとかくマイナスにとらえられる中で、「有り難きこと、めったにないこと」を活かすこと、新らしい価値あるものを創ること、そしてそれらを分かち合ってともに快適に生きることも「プラスのもったいない」考え方ではないだろうか。
「そうかあ。もったいないってクリエイティブな創造的な考え方、生き方なんだね。」という若い二人の言葉に、そうだ、そうだ、みんなで「もったいないボランティア」の輪を広げましょうと提案して、楽しい番組を終えた。
終わったあと、いろんな人から「ラジオで聞いたよ。面白かった。楽しかった。改めてもったいないって何か考えるきっかけになった。」という感想を聞いて嬉しくなった。