人生は出会いであり、その出会いは特別な人にしかやって来ない。しかも、その出会いは、あなたの人生で二度とやって来ない。
僕は、山梨県ボランティア協会の仕事を通して多くの方々と出会ってきた。それらの出会いから多様な視点で多くのことを感じ、学び、身につけてきたことに感謝している。
特に、中国の沙漠緑化を提唱して実践した日本沙漠緑化実践協会の創設者である遠山正瑛先生との出会いは強烈なものであった。そして、遠山先生の限りなきフロンティア精神は僕の心の支えとなっている。
遠山正瑛先生は、明治39年12月14日に山梨県富士吉田市新倉の大正寺に生まれた。日川中学校(現・日川高等学校)から京都大学を経て鳥取大学農学博士として、日本で初のスプリンクラー使用により不毛の地であった鳥取の砂丘開発を成功させた。
退官後、83歳にして中国沙漠緑化に命を賭けて、平成3年に日本沙漠緑化実践協会を設立し、中国内モンゴル自治区での緑化活動を推進した。 遠山先生は、それらの沙漠緑化活動は「世界平和への道である」と確信して命がけで積極的に活動を展開したが、その間多くの「遠山語録」を残した。
○人間は、夢と希望がなければだめだ。目標のない生き方は虚であり、空しい生き方だ。朝が夜になるだけでは人生の意味がない。
○人間は、何のために生きるか。この世に生を受けたからには、自分だけの利己的な生き方では勿体ない。利他共生こそ人間の道である。だから、誠心誠意、他人や社会の役に立つ生きかたをしよう。
○一木一草。一本の木を植えなければ森は育たない。一本の草を植えなければ、草原は広がらない。 たとえ小さくとも、ゆっくりでも、一歩一歩の努力が生活を変え、人生を変え、世界を変える。
○人間は、考えることも大切だが、考えてばかりいては何も始まらない。考えたら行動することが大切なことだ。「やればできる。やらなければできない。」・・・。などたくさんの言葉を残しました。
平成16年2月27日、遠山先生は97歳の生涯を終えられた。「沙漠開発は世界平和への道」と提唱し実践した先生の遺徳と功績は永遠に語り継がれ、日中平和外交の重要な環境開発事業として継続されるだろう。同年8月20日、先生の遺骨は、ポプラの茂る沙漠に建立された墓に納められた。
中国政府は、遠山先生の功績を讃えて、平成11年8月16日、沙漠に先生の銅像を建立した。人民日報の記事によると、生前に銅像を建てられたのは、かの有名な毛沢東と東山先生だけだそうだ。
そして、平成16年8月20日、中国内モンゴルの沙漠に遠山先生の墓碑が建てられたが、墓碑を収めた立派な「遠山廟」とともに、遠山先生の偉業の数々を収めた沙漠記念館も建てられた。
遠山先生のモットーである「やればできる。やらなければできない。」という言葉とともに、地球の約三割弱の沙漠を放置していては勿体ない。これらを有効活用して食糧問題を解決することが世界平和への道であると説いた遠山先生の言葉を決して忘れることはできない。
我々が日常生活の中で当たり前に思っている「命や自然の恵み」は有り難いことである。これらの恵みに畏敬の念をもって感謝し、それらの価値を活かして平和な創造していかなければ勿体ないと思う。
○人間は何のために生きるか。与えられた命や自然の恵みを、人類のために有効活用してこそ、真の幸福や平和が実現できるのではないか。そのことに気づかずして無益に生きることは「勿体ない」。
今は亡き遠山先生は、このようなことを願い、伝えてくれているのだと思う。
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