2010年1月22日金曜日

「もったいない」の考え方を考えるー1

2009年2月28日に行った「第1回もったいないフォーラム in やまなし」で、パネラーの皆さんが語った「もったいない」の考え方を要約しましたのでお伝えします。

 一言に「もったいない」といっても、人それぞれの立場や多様な視点、見方、考え方がありますね。    「有り難い」と思うことと「勿体ない」ということは関連性がある思います。これらの「有り難いことを失うことは勿体ないなあ。」という受動的な面と、「有り難いことを創り出す喜びがある。そのことに気づいても何もしないでいることは勿体ないから行動しよう。」という能動的な面があるように思います。

あなたの「もったいない」はどうでしょうか?

◆我が国にはリサイクル、リユースの文化が根付いていた。特に江戸時代は素晴らしい循環型の社会があったようだが、今日は安易な使い捨て文化となっていることは残念だ。 「もったいない」とは物を大切にすることは勿論、再生し分かち合い人々が連携していく行為と同時に「他を思いやる」「足を知る」という心の問題でもあることを改めて考えたい。<山梨ことぶき勧学院大学院学院長 数野強さん>  

◆日本では、毎年3万人以上の自殺者がいる。尊い命をなぜ自ら亡くしてしまうのか。あまりにも「もっ たいない」ことである。この原因は、心より物を優先してしまったところにある。  今こそ社会全体が立ち止まり、「知足」を知ることである。森羅万象全てが孫からの借りものである。「何をしてくれるか」と社会に欲求するのではなく、自分以外の誰かに「何をしてあげられのだろうか」という利他の心が、「もったいない」精神の根源となる。 <高野山真言宗宝寿院住職 広瀬義仙さん>

◆ワンガリー・マータイさんが国連で提唱された「もったいない」という考え方は、現代人に対する警鐘だと思う。「ものや命を大切にする心を育もう」と訴える活動や報道を今後も続けてみんなが連携したPR、社会への働きかけの強化が不可欠であると思う。。 今後は、もったいない運動を「知っている」から「している」暮らしへと、一人ひとりが身近なところで心のチェンジを心がけることが大事だと思う。
<山日新聞社編集局次長樋口幸徳さん>

◆戦前生まれの私の生活の中で「もったいない」は念仏のようにいつも聞かされ、諭されて来た言で、食べ物はもちろんのこと衣類も編み直し、仕立直しなど知恵と技を使って暮らしていた。だが、いつの頃からか「買った方が安い」という言葉のもとにその暮らしぶりは変わってしまった。 もともと「ありがたい・大事にしたい」ということを経済的な面だけではなく、心・情緒・精神文化の醸成という方向につなげたらよいと思う。<東京エレクトロン韮崎文化ホール理事長 林紘子さん>

◆牛乳パック回収が始まった大月市「自主グループたんぽぽ」のメンバーとして回収運動に関わっていた。容器包装リサイクル法制定のきっかけになったとも思われる運動から発展した「もったいない運動」の灯を絶やすことなく、人と人との関係やネットワークづくりをさらに進め、ものや命を大切にする心を育み行動していきたいと思う。  <もったいない甲斐ネットワーク副代表 白川恵子さん>

◆「もったいない」という言葉が死語のようになって久しい。もったいない世代で育った私は心 の中では「どこかおかしいぞ」と理不尽を感じながらも、「もったいない」の言葉を使うたびに「ケチな人」と思われるような気がして、世の風潮に流されてきた自分を反省している。子どもたちに何かを伝えていかねばならないと思う。  <子育て支援団体ハッピーキッズ代表森澤昌子さん>

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