2010年3月25日木曜日

ゆっくり・小さく・確かに

スモール イズ ビューティフル ラージ イズ ナンセンス

 市場原理の経済至上主義、結果主義、費用対効果、などなど目に見える大きな結果を出して実証がないと説得力とか社会的信用が得られない世界もある。
 だが、このような実効性を証明できない、計数管理ができない「小さくて見えないが美しい世界」もある。それは、ボランティア精神に根ざした日常的な行為とか、教育、文化、芸術、コミュニティづくりなど、皆で思いと知恵と行動を寄せあってカルチベートする(耕そう・まこう・育てよう)世界であり、社会の豊かさや温かい人間関係をつくっている 「さもないこと」 の地道な営みで目立ちにくいことだ。
 このような世界においては、必ずしも大きいことだけがベストではない。むしろ小さくとも確かなものの意義と役割がある。それらの市場原理から外れた非経済的な価値こそ、実は今日の殺伐とした世相の中では大切なのだと思う。

 最近、「無縁社会」という言葉がクローズアップしている。特に高齢化が進み、超高齢社会をむかえて深刻な問題となっているのが「一人暮らし老人の孤独・孤立」である。地域の中でただ一人だけが小さな社会の中で閉じこもっている。日常の関係の中で、家族や近所の人々などとも疎遠となり、親密に相談に乗ってくれるような人との関わりもなく、明日への不安を抱きながら暮らしている。このような現実があちこちから聞こえてくる現代社会である。
 一人で暮らす孤独な高齢者に対する公的施策は、介護保険で全てのサービスをまかなう仕組みの中で、うっかりすると気が付かずに忘れられてしまいがちな存在として、きめ細かな対策がなされていない ことも多い。
 公的施策を実行する行政の視点が 「公共・公益・公正・公平」 というマクロであればあるほど、最大公約数の大きな解決を急いで完結しようとする傾向にある。だが、寂しい孤独の悩みや生活の苦しみを持ちながら不安な日々を送っている人が、一人でもいたならば、ミクロなことに目を向けて解決の道探しに努力する配慮が必要なのではないだろうか。
 もちろん、「公助、共助、自助」の社会福祉耕造の中で、自分から努力する「自立の支援」が基本であることは言うまでもないが、そこに今ひとつ、もう一歩の支援の仕組みづくりが欲しい。それらの努力をしないで放置している社会は、人間が人間らしく生きることをめざす「もったいない文化」とはほど遠いものになってしまうだろう。

 合理的・効率的で大きければいいという世相ではあるが、今改めて非合理的・非効率的で手間がかかるような小さな営みが大切だと自覚しながら行動することが求められている。
 小さいことは、むしろ真に求められているものを創り出す大切なニーズの基であり、その過程は知恵を出して工夫する楽しい営みである。その結果は人間が生きていくうえでの「安心・安全・幸福」を導くたしかな道であると思う。そして、それは人間ならではの美しい行動であると思う。

「イクメン(育メン)」ってなあに?

平成22年1月31日の朝、NHKテレビで不思議な言葉に出会った。

「イクメン(育)メン」という言葉だ。「イケメン」ではない。

夫は、昼休みを返上してまでも仕事をキチンとこなし、定時になると素早く退社して一路我が家に急ぐ。 家で待つのは愛する奥さんだけではなく、可愛いよちよち歩きの赤ちゃんだ。
一日の仕事の疲れも忘れて赤ちゃんの子守をする夫 は、 赤ちゃんの育児に、「夫が参加 する権利」があり、何者にも代えがたい喜びがあるという。
「ただいま、ばあばあ、元氣だったかと声かけ、お風呂に入る、食事の介助、抱っこのスキンシップ、ふれあい、くつろぎ、遊び、ゆとり、笑顔、膝での眠り顔などなど・・・・・・・ 。」、精神的に充実した一時だ。
このような時間を、夫だから、男だからという理由で創ることができないのは「もったいない」と言う。

妻だけの「お母さん」では、子どもに対して夫としての役割が無く、全く味気なくて、同じ夫婦なのにこれは損だから、赤ちゃんの接する時間を創り、パパとしての幸せを感じよう。そうすることが喜びである。
また、妻の立場からもも自分だけが子どもの「お母さん」に振り回されていては、家事の余裕がない。
赤ちゃんの子育てに生き甲斐と喜びをもって参加する夫と、 そんな夫に、育児を自由に任せて家事に専念する妻は精神的な余裕ができて、双方共に喜ばしい話しである。
あっちも、こっちも皆がいい状態で、幸せ家族がそこにあり、心の平安と安息がある。 一昔の時代では考えられない、現代版の夫婦のあり方とともに、男である、女であるなどという価値観にこだわることなく、幸福感や充実感を求める考え方変が変わってきているのだなあと思う。
何よりも、テレビの中で主張していた、「夫だからと、仕事が忙しいからという理由で、赤ちゃんとふれあう時間が創れないのはもったいない。」という言葉が印象的だった。

現代の日本社会は、物が有り余るおど豊富で豊かなはずなのに、 心のふれあいとか、充実感や満足感、幸福感がない。どこかに不満を感じている。 子どもの育児を通して、その成長過程を見る楽しさ、喜び、夢、希望、期待、親ならではの与えられた心の充実感など、これらの精神的喜びを感じなければ、 父親として「もったいない。」と思う本音であろう。
会社に忠誠を尽くした会社人間、仕事の鬼、仕事一筋の生き方が男の本領であり男の最高の価値であるという時代が変わりつつある。
父親参加の新たな育児のあり方が変化しつつ、重視されている昨今のように感じた。

ESD・関東つながり会議開催

ESDって、僕らのめざすことと同じだね!!


関東ブロックESD「ブロックミーティング」が、去る3月23日に東京都渋谷区の国際大学内・地球環境パートナーシッププラザで開催されました。

当日は関東圏の10都県(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、新潟、山梨、静岡)から参加者が日頃の活動事例を持ち寄ってリレートーク方式で発表し、その後小テーマごとにグループワークにより情報交換をしました。
平成17年から「国連持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」がスタートし、我が国においても関係省庁連絡会議において「地域におけるESDの先進的な取り組みの支援」が重点的に取り組まれています。
今回の企画は、一般社団法人環境パートナーシップ会議が主催となって開催しました。10都県の参加者として「もったいない甲斐ネットワーク」も事例を発表しましたが、なぜそうなったかという経緯は、主催団体から山梨県ボランティア協会に問い合わせがあったことから始まった話です。

各都県の事例は環境問題や地域づくり、学校教育などと多岐にわたっていましたが、山梨県の場合は「何をしているかという活動そのもの」よりも、「もったいない文化づくり」という精神的な啓発運動の性格が強いことから、他の事例とは若干違和感もありました。しかし、グループワークなどの中で、「生きている命や自然の恵みは有り難い。その価値を失ったり無益にしてしまうことは勿体ない。」という山梨発のメッセージに、皆さん共感してくれたように思います。

ESDとは、「持続可能な開発のための教育」(Education for Sustainable Dvelopment)の略称ですが、我が国のESD10年実施計画では、ESDを「一人ひとりが、正解の人々や将来世代、また環境との関係性のなかで生きていることを認識し、行動を変革するための教育」と定義しています。
参加にあたって、少し堅苦しい違和感を感じていたのは事実ですが、会議のPR文に、毎日の生活の中にある「困ったなあ・・・」や「もったいない・・・」を解決しようと関係者が相互に連携・協力し、よりよい社会をめざそう、という趣旨には賛同できました。
ESDそのものへの理解はまだまだ一般的に浸透していないように思いますが、言葉の表現の差はあっても、めざすところは同じなんだなあと思いました。

山梨県における「もったいない運動」も、みんな当たり前のように思っていてもいざ実行となると難しい一面も持ちながら、でも、誰かが言い出していかないと何も始まらない。その誰かになる「意のある人」を一人でも多く呼びかけて行きたいと思います。
今回の会議に参加して、山梨県の取り組みが決して間違っていないどころか、精神文化の退廃している今日の世相では必要不可欠の運動だと確信しました。
みなさん、一度に10人、100人を望むのではなく、身近な周りの一人ひとりに思いを伝えていきましょう。それが、地道な草の根の「もったいないボランティア」の道だと思います。 

目標をもって生きる

人生は出会いであり、その出会いは特別な人にしかやって来ない。しかも、その出会いは、あなたの人生で二度とやって来ない。

僕は、山梨県ボランティア協会の仕事を通して多くの方々と出会ってきた。それらの出会いから多様な視点で多くのことを感じ、学び、身につけてきたことに感謝している。
特に、中国の沙漠緑化を提唱して実践した日本沙漠緑化実践協会の創設者である遠山正瑛先生との出会いは強烈なものであった。そして、遠山先生の限りなきフロンティア精神は僕の心の支えとなっている。

遠山正瑛先生は、明治39年12月14日に山梨県富士吉田市新倉の大正寺に生まれた。日川中学校(現・日川高等学校)から京都大学を経て鳥取大学農学博士として、日本で初のスプリンクラー使用により不毛の地であった鳥取の砂丘開発を成功させた。
退官後、83歳にして中国沙漠緑化に命を賭けて、平成3年に日本沙漠緑化実践協会を設立し、中国内モンゴル自治区での緑化活動を推進した。 遠山先生は、それらの沙漠緑化活動は「世界平和への道である」と確信して命がけで積極的に活動を展開したが、その間多くの「遠山語録」を残した。

○人間は、夢と希望がなければだめだ。目標のない生き方は虚であり、空しい生き方だ。朝が夜になるだけでは人生の意味がない。

○人間は、何のために生きるか。この世に生を受けたからには、自分だけの利己的な生き方では勿体ない。利他共生こそ人間の道である。だから、誠心誠意、他人や社会の役に立つ生きかたをしよう。

○一木一草。一本の木を植えなければ森は育たない。一本の草を植えなければ、草原は広がらない。 たとえ小さくとも、ゆっくりでも、一歩一歩の努力が生活を変え、人生を変え、世界を変える。

○人間は、考えることも大切だが、考えてばかりいては何も始まらない。考えたら行動することが大切なことだ。「やればできる。やらなければできない。」・・・。などたくさんの言葉を残しました。

平成16年2月27日、遠山先生は97歳の生涯を終えられた。「沙漠開発は世界平和への道」と提唱し実践した先生の遺徳と功績は永遠に語り継がれ、日中平和外交の重要な環境開発事業として継続されるだろう。同年8月20日、先生の遺骨は、ポプラの茂る沙漠に建立された墓に納められた。
中国政府は、遠山先生の功績を讃えて、平成11年8月16日、沙漠に先生の銅像を建立した。人民日報の記事によると、生前に銅像を建てられたのは、かの有名な毛沢東と東山先生だけだそうだ。
そして、平成16年8月20日、中国内モンゴルの沙漠に遠山先生の墓碑が建てられたが、墓碑を収めた立派な「遠山廟」とともに、遠山先生の偉業の数々を収めた沙漠記念館も建てられた。
遠山先生のモットーである「やればできる。やらなければできない。」という言葉とともに、地球の約三割弱の沙漠を放置していては勿体ない。これらを有効活用して食糧問題を解決することが世界平和への道であると説いた遠山先生の言葉を決して忘れることはできない。
我々が日常生活の中で当たり前に思っている「命や自然の恵み」は有り難いことである。これらの恵みに畏敬の念をもって感謝し、それらの価値を活かして平和な創造していかなければ勿体ないと思う。

○人間は何のために生きるか。与えられた命や自然の恵みを、人類のために有効活用してこそ、真の幸福や平和が実現できるのではないか。そのことに気づかずして無益に生きることは「勿体ない」。
今は亡き遠山先生は、このようなことを願い、伝えてくれているのだと思う。

2010年3月22日月曜日

タイム イズ パートナー

先日、甲府の舞鶴城公園を歩きました。春めいてきたので久方ぶりの散歩です。
植え込みの中を「モンシロチョウ」が舞っていました。 「ああ、春なんだなあ」という実感が湧いてきて、ふと見回すと桜の花が咲いていました。
この冬、僕は冬眠していて、いつのまにか春の訪れが告げられたのに気づかなかった。 そんなに忙殺されるほど忙しいのでもないのに、僕の周りに目を向ける心のゆとりがなかった。怠惰な気持ちの中で揺れ動いているだけだった。

「タイム イズ マネー」という言葉があります。時は金なり、一時も惜しまず金を稼ぐ、 そういう生き方もありますよね。その年代、その時々で、それはそれでいいですよね。 でも、今の僕にとって一番大切なことは、「タイム イズ パートナー」ではないかと思う。

桜の花も、タンポポも、沈丁花の花も、チョウチョや鳥たちも、空も、雲も、風も・・・・・。
みんな自然(とき)を知っている。なのに、僕は自分の身の周りのことで振り回されていた。自然が移り変わって陽気な春が来たのに、自分の心の内面を見つめることは決して悪いことではないけど、憂鬱な状態で逃避的な生活をしているのは不健康で、「もったいないなあ」と思った。
よし、春が来たぞ。僕の心にも春風がそよいでいる。遙か甲斐の連山にも雪が少なくなってきた・・・・。豊かな大地に恵を与えてくれる自然が変化する流れの中で生き、その日、その時、その時間の中の自分を大切にしていこうと決心した。

「タイム イズ パートナー」・・・・・「一つひとつの出会いの時の中に、ともに生きる喜びがある。」
30年も前に僕が創った言葉だが、今改めてその言葉の命を吹き返し、思いを確かめ、新しい何かが始まろうとしている。 その時、その時を大切にしなければ、「もったいないよなあ」と、思うこの頃です。

もったいないフォーラムリポート

フレッシュな高校生の開会挨拶から始まった第2回「もったいないフォーラムinやまなし」を、平成22年2月27日(土)午後1時~4時まで開催しました。(101名参加)

「皆さん、こんにちは。私は、山梨県ボランティア・NPOセンターに集う若者たちが活動している甲斐縁隊代表の宮澤安奈です。私は、もったいないという言葉が好きです。皆さん、出会って、語り合って、笑顔があって、そして喜びを分かち合わなければもったいないですよね。短い時間ですが、たくさんふれ合いましょう。」と、高校生の明るい言葉に誘われて、会場は和やかな雰囲気の中で、5人の中身の濃いリレートークを踏まえて活発にグループワークをしました。

5人のトークの内容は、「もったいない五つの視点」

① もの(物)を大切にする生活・・・フードバンク代表 米山けい子さん
② 共生の命・心・人の出会いの縁を大切にする生活・・・自立支援・福祉団体代表 芦沢茂夫さん
③ 自然の恵に畏敬の念を持って感謝する生活・・・北杜市クリーンエネルギー協議会会長 篠原充さん
④ 日本の生活・伝統文化を大切にする生活・・・工房「花筏」主宰 遠藤静江さん
⑤ 健康であることに感謝する生活・・山梨ダルクスタッフ 毛利学雄さん
   *コーディネーターは、エフエム甲府常務理事の川崎博さん

 メインテーマの「もったいない運動」をすすめるため、「有り難い」から「勿体ない」という基本的な考え方を皆で共有し、古くから日本人の生活に根ざしていた「もったいない文化」を再発見、再創出するためには、このような小さなこじんまりした話しあいが大切だと思います。
6人1グループに分かれた話しあいは、あたかも井戸端会議、昔の良き田舎の寄り合いのようなイメージで、全ての人が語り手で、全ての人が聞き手となって活発に話し合われ、いつ終えるかも分からないくらい燃え上がりました。
 最期に、参加協力してくれた高校生たち7人が壇上に立って、一人ひとりの感想を語りました。一人の高校生は、「明後日は高校の卒業式だけど、高校生活3年の中で一番充実した時間だった」と語っていました。高校生活最期の体験が、社会へ出ていくための大きなエネルギーになればいいですね。

アンケートもたくさん書いてくれました。いろいろな意見が寄せられています。「環境」「エコ」「3R運動」など環境問題への関心が高まっている中で、今こそ、その根底にある、「有り難い」から「勿体ない」という考え方を広げていく必要があるように思います。

「命」や「自然の恵み」は「有り難い」ことです。当然のことのように思ってる今日的な風潮ですが、それらを安易に失ってしまったり、無駄にしてしまうことは、やはり「勿体ない」のです。
「勿体ない」ということは、ケチでもなければ、ただ単なる省エネ、省資源の現象ではないこと、むしろ、与えられた命や自然の恵みを積極的に活かしあってこそ、本当の価値創出の喜びや生き甲斐につながるのではないでしょうか。

これから「もったいない運動」を進めるための三つの心得「き・お・い」

①決めつけない  ②押しつけない  ③急がない