2010年1月31日日曜日

新年会での「もったいない」談話

先日、日川高等学校の同級生が一足遅い新年会をし、20名ほどのメンバーが集まり、久しぶりの親交を深めました。 酒の勢いか、懐かしさか、言いたいことを言って賑やかな一時をすごしました。
僕は当番幹事だったので、はじめの頃の受付や会の盛り上がりに気を配りながら、だんだん雰囲気にとけ込んで酒を飲み、語りました。受付では予め「第2回もったいないフォーラム」のチラシを名刺代わりに配りました。雰囲気も盛り上がった中で、チラシを見た彼女、彼らが言いました。
「受けた命は有り難い、それを失うことは勿体ない。それはそうだよな。」
「戦前生まれの俺たちは、貧乏だったから、もったいないなんて当然だったよな。」
「そうだよ、その通りで、孫たちにもいつも言っているよ。」
とみんな「もったいない運動」に賛同してくれました。

「もったいないぞと親から言われて育った俺たちが、今度は孫たちに口うるさく言う年代になったなあ」と彼。
「おい、俺もそう思うよ。」と、今までボランティアなんて特殊人間のすることだと言っていた彼。「今日のご馳走は残しちゃあだめだぞ。」と力む。
「私も、もったいないばあちゃんと孫に言われるけど、いいんだよね。 27日のもったいないフォーラムには参加する。」と申し出る彼女。
「だいたい、50年前に高校で出会った俺たちがだよ。こうして会えるのは有り難いよなあ。仲良くしないで喧嘩別れなんかしたらもったいないよ。」 と彼。
「おおおい、みんな、やろうや。」などと言わないのに、思わぬ反響が嬉しかった。
誰もが語り、誰もが楽しみ、和気あいあいと過ごした新年会も終わった。

食事も、酒も、会話もみんな楽しかった。何よりも嬉しかったのは、もったいないという当たり前のことを 酒の席で語り合い、確かめあい、生活の中で行動する気持ちを大切にしようという雰囲気だった。
みんなが三々五々と帰った後、宴会の席はガランと静かになった。テーブルの上には宴のあとの 残骸 が残されていた。だが、刺身も煮物も鍋物も、酒もビールもすべて食べ尽くし、飲み尽くしてあった。
身近な新年会のできごとである。思い切って「もったいない」という言葉を発信してよかった。
これからも 折にふれて勇気を出して言っていこうと思う。
ただし、「ねばならない強制のもったいない」ではなく、「したほうがいいよなあ」という「お誘いのもったいない」運動が望ましいと思う。

2010年1月29日金曜日

「弁当」 か 「おにぎり」 か 思案どころ

「パック入り弁当」 か 「バラのおにぎり」かどっちにしようか??

1月26日夜、山梨県ボランティア・NPOセンターで第2回もったいないフォーラム
の実行委員会をしました。全体計画の確認、当日までの準備、マスコミへの依頼
やEメール発信(知人への転送方式)、会議やイベントなどでのチラシ配布、人か
ら人への口コミなどのPR、当日運営の役割分担・・・などなど を決めながら、
最期に当日の打ち合わせや協力スタッフの昼食のこととなりました。

当初は弁当○○人分ということでしたが、さてそこで実行委員から待ったがかか
りました。
「幕の内とか、パック入りの弁当は数を確定しなければならないから、何人分と予
測するのが難しい。足りなければ困るし、余らしてしまってももったいない。」
「それならば、数を固定する必要のない、おむすびにしたらどうか。余ったって若
い人たちに食べてもらえばいいし、お土産で持ち帰ることもできるじゃあない。」
「それじゃあ、実行委員会にかかわっているメンバーで手作りおむすびにしたらど
うだろう。米は持参し、会場の調理室でつくったらどうか。」・・・・・「全員賛成」。

イベントをするときに頭を悩ますのが「食事」です。
弁当屋さんから調達することに慣れてしまっていますが、「足りなかったら困る」
という思いで多めに注文し、結果的には実行委員などが持ち帰ることになってし
まう。時間をおいて冷え切った弁当がおいしいはずはないよね。
そこで登場するのが「おむすび」です。
おおむね何個としておけば柔軟に対応できる。集まった頭数で分けあって楽しく
食べられる し、老若男女、それぞれに食数も異なるからほどほどに行き渡って
悩むこともな い。 弁当だと好き嫌いがあったり、何やかやと余らしてしまうこと
もあるが、おむすびは余すと ころがなく合理的である。

と、まあそういうことで一件落着したが、これも一つの「もったいないアイディア」
です。何よりも、心をこめてつくってくれたおむすびはありがたいですね。
おむすびは、必要に応じて食べるから無駄もなければ捨てることもない、実にも
ったいない生活にふさわしい食べものです。改めて見直しました。

2010年1月26日火曜日

「UTY環境キャンペーンきずなエコ」

テレビ山梨 「UTY環境キャンペーンきずなエコ」

URL [ http://kizunaeco.blogspot.com/ ]


     ~ 子どもの歌声が社会を変える ~

キャンペーンソング 「 むすんで つないで きずなエコ 」

                作詞 渡辺雅夫/作曲 伊藤薫

大地と海に つつまれて
命は「 ヒト 」に なったのさ
みんなと 地球を むすんでる
つないだ きずなは エコロジー
むすんで つないで
きずなエコ

もったいない の アドバイス
ありがとう って かえします
もったいない と ありがとう
おんなじ 意味かも しれないね 
えがおが うまれる
きずなエコ

むすんで つないで わになって
みんなの 地球を かこもうか
世界の 子どもを むすぶのは
ひとつの 空気と 太陽だ
つないだ こころは
きずなエコ

放送開始    平成22年2月8日(月)から

放送予定時刻 

 ①フルコーラス篇(90秒)  
  月曜~金曜  ・朝6時30分頃 ・朝7時00分頃 ・午後3時55分頃 
 ②テーマ篇(15秒/歌詞のテーマ部分)  
  月曜~日曜  ・早朝から深夜まで1日6回放送

           ◆キャンペーンの理念とメッセージ◆ 

 ○人間関係の豊かさこそが社会の基本であるとの理念に立ち、人と人、
   人と社会をむすび、今日を明日につなぎます。

 ○「きずなエコ」 とは 「生かされている命」
    ・山梨県民とともに 「人と地球環境との正しい関係」 を考 えます。
    ・山梨の子どもたちに 「人・もの・命を大切にする心」 を伝えます。
    ・暮らしの中の日常的な会話の中で、
    「もったいない」 と 「ありがとう」 のきずなをむすび、 つなぎます。

 ○「もったいない」 を実践している人を見つけたら、
   「ありがとう」 の言葉をかけてください。
   ホラ、そこに 「きずなエコ」 が生まれました。

コメント

 テレビ山梨「UTY環境キャンペーンきずなエコ」は、
  私たち「もったいない甲斐ネットワーク」が進めているもったいない運動と協働して
 取り組んでいます。
 マスメディアと市民活動が確かな手を結び、「ありがたい」 と 「もったいない」
 の心を育む精神文化を創る県民運動に発展する ことを願っています。

2010年1月23日土曜日

人生峠の分かれ道

昨夜(1月22日)深夜の時間つぶしに言葉遊びをしました。


人生峠の分かれ道  老若男女の悲喜苦楽

道に迷えば道を知る 歩いたところが道になる

あの道 この道 行く道は 通り直しのできぬ道

急がず 構えず 諦めず 右に左に 前向きに

未来に続くこの道は 歩いてみなけりゃ わからない

逃げてしまえば それまでよ

希望の道はすぐそこだ  明日はきっと晴れるだろう

やればできると信じつつ  もったいないから生きる道

人生峠は 長い旅 いろいろあるから楽しいな

2010年1月22日金曜日

「もっったいない」の考え方を考えるー2

「もったいない」の語源・由来は・・・・惜しい、おそれおおい、などなど

もったいないは、和製漢語「勿体(もったい)」を「無し」で否定した言葉。
勿体の「重々しさ」「威厳さ」「構える」「カッコウをつける」などの意味から、もったいないは「妥当ではない」「不向きだ」といった意味で用いられていた。
転じて「自分にjは不相応である」という意味になり、「ありがたい」「粗末に扱われて惜しい」など、もったいないの意味は広がっていった。

また、「勿体」は本来「物体」と書き、「もったい」と読むのは呉音。
「物の形」「物のあるべき姿」の意味から派生し、「重要な部分」「本質的なもの」の意味となった。
さらに、重々しい態度などの意味に派生し、意味が離れてきたため「物」が省略され、「勿」という表記で和製漢語の「勿体」が生まれたとされる。

これらの経緯から、「惜しい」といった意味で用いられる「もったいない」は、「本来あるべき物がない」という意味で原義に戻ったようにも思えるが、「もったいない、お化けが出るぞ」などと言われるように、「神聖な物」「重要な物」を粗末にする意味が含まれるため、「勿体」の意味が転じた流れによるものと考えられる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上は、「語源由来辞典」の内容です。

もったいないって幅広く深い言葉ですね。

 昭和20年代の終戦時代は「もったいない」が生活の中でごくごく普通に使われて日常用語化していた。今でも懐かしく思い出される言葉ですが、食べ物を残せば叱られ、生活用品を粗末にすれば怒鳴られて、「そんなことしたらもったいない。このバチ(罰)あたりめ」と真剣に怒られた。
 終戦後の時代は物のない時代でしたから、着る物は母の手作り、食べ物は米麦野菜が主流の質素な状態でした。みんなが貧乏だったけど、限りある物の価値を粗末にしてしまわないで一所懸命に節約生活に耐えて努力して工夫したものです。
 養蚕や蔬菜などで得たお金は少しでも蓄える親の姿は痛々しいほどで、今時の金満飽食の世相では
考えもつかないほどです。でも、村のこととか公のためとか子どもの教育のために必要な時はケチらずに使っていました。

 節約とケチはちがうんです。ましてや、金を貯め込むことだけが趣味の拝金主義の吝嗇(リンショク)とは本質的に異なっています。勿体ない、節約と言うと「貧乏くさい・ケチ」の代名詞のように思われている時代ですが、どこかが間違っています。
 勿体ないとは、与えられた命や自然の恵みに謙虚に感謝して大切にすること、節約とは無駄を省きほどよく切りつめることで、むしろ今ある物の価値を活かして有効に活用することで精神的には豊かで充実感のある生活を創造することだと思うのです。物を大切にし、それを活かしながら前向きに生きるその行為の向こうには、夢と希望と価値あるものを創出する目標のある生き方だと思います。

 これらのことは、上記出典「語源由来辞典」の言葉からも推察できます。今、改めて「居ること・在ること」「有ること」の「有り難さ・在りがたさ」に気づき、謙虚に感謝して生きること、むやみやたらと無意識に粗末にしたり、捨ててしまうことの「勿体なさ」の根源に、有り難いことへの感謝の心を呼び起こし、より精神的に充実し豊かな生き方を求めていくことが大切ですね。
そんな時代の意識を持ちながら、「有り難い」と「勿体ない」を結びつける暮らしを工夫したいものです。

特に、自殺者の増加傾向や単純に人を殺めてしまう昨今の世相で思うことは、
「受けた命は有り難い。せっかくの命を失うことは勿体ない。」
このことの大切な意味を、子どもたちに自信を持って伝えられる大人になりましょう。

「もったいない」の考え方を考えるー1

2009年2月28日に行った「第1回もったいないフォーラム in やまなし」で、パネラーの皆さんが語った「もったいない」の考え方を要約しましたのでお伝えします。

 一言に「もったいない」といっても、人それぞれの立場や多様な視点、見方、考え方がありますね。    「有り難い」と思うことと「勿体ない」ということは関連性がある思います。これらの「有り難いことを失うことは勿体ないなあ。」という受動的な面と、「有り難いことを創り出す喜びがある。そのことに気づいても何もしないでいることは勿体ないから行動しよう。」という能動的な面があるように思います。

あなたの「もったいない」はどうでしょうか?

◆我が国にはリサイクル、リユースの文化が根付いていた。特に江戸時代は素晴らしい循環型の社会があったようだが、今日は安易な使い捨て文化となっていることは残念だ。 「もったいない」とは物を大切にすることは勿論、再生し分かち合い人々が連携していく行為と同時に「他を思いやる」「足を知る」という心の問題でもあることを改めて考えたい。<山梨ことぶき勧学院大学院学院長 数野強さん>  

◆日本では、毎年3万人以上の自殺者がいる。尊い命をなぜ自ら亡くしてしまうのか。あまりにも「もっ たいない」ことである。この原因は、心より物を優先してしまったところにある。  今こそ社会全体が立ち止まり、「知足」を知ることである。森羅万象全てが孫からの借りものである。「何をしてくれるか」と社会に欲求するのではなく、自分以外の誰かに「何をしてあげられのだろうか」という利他の心が、「もったいない」精神の根源となる。 <高野山真言宗宝寿院住職 広瀬義仙さん>

◆ワンガリー・マータイさんが国連で提唱された「もったいない」という考え方は、現代人に対する警鐘だと思う。「ものや命を大切にする心を育もう」と訴える活動や報道を今後も続けてみんなが連携したPR、社会への働きかけの強化が不可欠であると思う。。 今後は、もったいない運動を「知っている」から「している」暮らしへと、一人ひとりが身近なところで心のチェンジを心がけることが大事だと思う。
<山日新聞社編集局次長樋口幸徳さん>

◆戦前生まれの私の生活の中で「もったいない」は念仏のようにいつも聞かされ、諭されて来た言で、食べ物はもちろんのこと衣類も編み直し、仕立直しなど知恵と技を使って暮らしていた。だが、いつの頃からか「買った方が安い」という言葉のもとにその暮らしぶりは変わってしまった。 もともと「ありがたい・大事にしたい」ということを経済的な面だけではなく、心・情緒・精神文化の醸成という方向につなげたらよいと思う。<東京エレクトロン韮崎文化ホール理事長 林紘子さん>

◆牛乳パック回収が始まった大月市「自主グループたんぽぽ」のメンバーとして回収運動に関わっていた。容器包装リサイクル法制定のきっかけになったとも思われる運動から発展した「もったいない運動」の灯を絶やすことなく、人と人との関係やネットワークづくりをさらに進め、ものや命を大切にする心を育み行動していきたいと思う。  <もったいない甲斐ネットワーク副代表 白川恵子さん>

◆「もったいない」という言葉が死語のようになって久しい。もったいない世代で育った私は心 の中では「どこかおかしいぞ」と理不尽を感じながらも、「もったいない」の言葉を使うたびに「ケチな人」と思われるような気がして、世の風潮に流されてきた自分を反省している。子どもたちに何かを伝えていかねばならないと思う。  <子育て支援団体ハッピーキッズ代表森澤昌子さん>

2010年1月9日土曜日

「有り難い」から「もったいない」

「もったいないと言うと、とかく説教じみたり、古くさいとか、ケチなどと決めつけられがちです。ましてや大量生産で物に溢れた今の日本では「消費は美徳」などという言葉が横行しているのは残念ですね。
しかし、太陽、空気、水や天然資源など自然の恵みを受けて生きていること、そして共生の命を大切に、優しく行動する人間関係に支えられて生きていることは「有り難い」ことです。
 もし、これらがなかったらどうでしょうか?

 「有り難い」の語源は古く、中国から伝授された古典「人の生をうくるものは難く、死すべきものの命あるも有り難し」(法句経)からきているそうです。
このようにあることが稀(まれ)であり、めったに例がない有り難いことを享受する感謝の心が大切で、それを失うことは本来あるべき状態が消滅して、せっかくの機会を与えられて創り出した価値を損なう「勿体(もったい)ない」ことだということを、改めて考えたいと思います。

 「もったいない」という言葉は、このような考え方に根ざした生活習慣の中から日常用語化し、自然に対する尊敬の気持ちや人間同士が大切にしあう心配りから日本的な精神文化を形成してきたと言えましょう。

受けた命は有り難い その命を失うことは勿体ないのです。

このことは、生活全般にわたって共通する基本的な考え方ではないでしょうか。
考えてばかりいては何も始まらない、何も価値あることが創れない。
だからこそ、気づきから一歩踏み出して行動するボランティアが求められています。
「もったいないボランティア」なんて言葉はないけど、
このような意識「Will(ウィル)」をもって行動する人々「Willer(ウィラー)」の輪を広げましょう。

誰でもできる「もったいない」活動事例

「もったいない」って面倒じゃあないよね。誰でもできる暮らしの中の心がけです。

◆もの(物)を大切にする生活から
  ○食べ物を粗末にしない 
  ○3R(リデュース-削減、リユース-再使用、リサイクル-再資源化・利用)

◆共生の命・心・人の出会いの縁を大切にする生活から 
  ○人間関係・コミュニケーションを大切にする ○命の尊さを守り、支えあって
    ともに生きる

◆自然の恵みに畏敬の念をもって感謝する生活から
  ○太陽の光と熱  ○清浄な空気  ○安心して飲める水  ○緑豊かな大地

◆日本の伝統文化を大切にする生活から
  ○礼儀作法・マナーを身につける  ○おじいちゃん・おばあちゃんの知恵を伝
   える交流  ○暮らしの中に根付いた地域の伝統文化  ○歴史的な文化財

◆健康であることに感謝する生活から
  ○体に有害な食を避ける  ○大麻などの薬・ドラッグの害で心身を犯さない

  これらは、身近な生活の中で誰でもできる「もったいない」活動の一例です。

もったいない運動の呼びかけ

私たちは、2006年7月に山梨県甲府市で開催された「第20回牛乳パックの再利用を考える全国大会」での提案を受け、翌年5月に「もったいない甲斐ネットワーク」を発足させ、環境、福祉、教育など多様な視点で「もったいない」の心がけを伝えあう運動を進めています。

 ケニアの元副環境相ワンガリ・マータイさんが国連で提唱した「MOTTAINAI」は、今や世界に広がる環境活動のキーワードですが、その発祥の国の日本で古来から受け継がれてきた「ありがたい(有り難い)」から「もったいない(勿体ない)」という精神的な風土の良さを再認識し、「物と心の調和」を図る生き方として「有り難い」と「勿体ない」を結ぶ活動を行っていきたいと考えております。

 今日の世相は、経済至上主義のもとに大量生産・大量消費・大量廃棄の仕組みの中で金満飽食の生活を当たり前のように享受し、何不自由なく暮らしています。 しかし、物質的には豊かであるはずなのに幸福の実感が乏しく、どこか心の隙間の空しさに悶々として、右往左往している人が多いのは何故でしょうか。 また、いじめ、自殺、殺人、虐待など、与えられた命の尊さに気づかず利己的で刹那的な行動が横行し、その解決のための決め手が見つからない不安定な状況にあります。
 このようなことは、実に「勿体ない」ことです。一人では生きていけない人間だからこそ、自然、環境や人間との関わりが「有り難い」ことに、気づいて感謝する心があれば、むやみやたらと「もの(物)」を粗末にしたり、命を軽んじることはないでしょう。先達が築いてくれた物質文明の恩恵に感謝しつつ、物の豊かさと心の豊かさがバランスよく作用して、安全・安心・平和な社会を創るために、「有り難い」から「勿体ない」ことの意味を確かめながら日常生活を見つめ直したいと思います。

 私たちは、このような「思いと行動」を持ち寄って、人・もの(物)・命を大切にする心を育み、自然の恵みに感謝しながら身近でできることを広げて行きたいと願っています。 ぜひ、一人でも多くの方にこの趣旨をご理解いただき、ともに「もったいない運動」の輪を広げましょう。