YBSラジオ放送「私のもったいない」
過日、YBS(山梨放送)ラジオ番組のコメンテーターとして「私のもったいない」について約3時間、若いアナウンサーと一緒に、リスナーがファックス投稿した意見や感想を交えて話しあった。
二人のアナのテンポの速い軽妙な会話についていくのは大変だったが、楽しい時間があっという間に流れてしまった。番組の中でリスナーの意見に対して「もったいない大賞」を選考する役割を与えられた。
「私のもったいない」についてたくさんの方から多様な生活感覚の視点で寄せられた中から選んだのは、桃の摘果作業を手伝って感じたことを言われた若い女性の言葉だった。
「桃の木の枝にたくさんの実がついている。その中から少数の売り物の桃のために小さな桃を摘んでしまうけど、これって何とか活かせないか?」という娘に、「そんな小さな実は使いものにならないよ」という母と娘の会話だ。
売る桃づくりのために小さな桃は捨てるしかない。確かにそうかもしれない。だが、桃の実がなるまでの長い年月と手間暇の時間を考えると、折角生まれた桃の命を簡単に粗末にはできない。何とか小さな桃の命を活かすことはできないかと考える考え方に共感して「もったいない大賞」とした。
番組の締めくくりに二人のアナと話し合った。「もったいない」というと無駄遣いをしないとか、節約するとか、省資源・省エネのように、とかく消極的に受け身の見方で考えて、「そのくらいいいじゃないか。けちくさいよ。」などと言われがちだが、それは今日の便利社会を代表するような言葉だと思う。
確かに、失うことはもったいない。だが、もうひとつの面から考えると、せっかくの命や自然の恵みをそのままに放置したりすること、それらの持っている「有り難い価値」を活かさないことももったいない。
失わないこと、節約することなどの工夫も生活の中の「もったいない」であるが、これらのことがとかくマイナスにとらえられる中で、「有り難きこと、めったにないこと」を活かすこと、新らしい価値あるものを創ること、そしてそれらを分かち合ってともに快適に生きることも「プラスのもったいない」考え方ではないだろうか。
「そうかあ。もったいないってクリエイティブな創造的な考え方、生き方なんだね。」という若い二人の言葉に、そうだ、そうだ、みんなで「もったいないボランティア」の輪を広げましょうと提案して、楽しい番組を終えた。
終わったあと、いろんな人から「ラジオで聞いたよ。面白かった。楽しかった。改めてもったいないって何か考えるきっかけになった。」という感想を聞いて嬉しくなった。
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