UTYの「渡辺ブログ」できずなエコから生まれたボランティア活動支援制度の話はいいですね。
ちょっと難しい内容ですが、平成10年3月にNPO(特定非営利活動促進法)法が制定されて、市民と企業と行政の三セクターの協働により新しい公共が創られる気風になってます。
このような社会の新しい動きの中で、企業のボランティア活動支援が意義があります。
先日、11月13・14日に小瀬スポーツ公園で開催された県民の日記念行事では、NPO法人法人山梨県ボランティア協会、生活協同組合パルシステム山梨などが取り組んでいる「もったいない甲斐ネットワーク」の市民活動とメディア(UTY)が協働して啓発活動を行いました。
NTY職員による「紙芝居上演」、歌手の岩崎健一さんとともに行った「もったいない音楽隊」のミニパレード、県立大学生も参加したチラシ配りと語らいなど、楽しく有意義な企画となりました。その成果は、企業と市民活動の協働による成果です。
企業と行政とボランティア・NPOなどの市民活動、異なるものが知恵と時間と思いを寄せあって元気な地域づくりに発展していくことでしょう。
いづれにしても、画期的な制度の誕生に拍手を送りたいですね。
2010年11月19日金曜日
若い力と老いの知恵をつなぐ絆を大切に
<PC故障のため時節外れになってしまいました。>
5月22日(土)午後「若老サロン」を開催しました。
山梨県ボランティア・NPOセンターに若者たちと、かつての若者たち?(60代から90代、最高齢は96歳)が24名集い、グループワーク方式で話し合いました。
参加した大学生は、日頃接する機会の少ない高齢者(老人)とのざっくばらんな交流の中から何を感じたのでしょうか。
戦争の体験談、平和の問題、時事問題として沖縄基地の問題、教育の問題、とかく薄れがちな心と心のふれあい、コミュニケーション、失敗を恐れるために臆病な心情や行動など、若いが故の未知の社会に対する「老いの知恵」を受け継いで成長して欲しいと願う大人たちは、自分の人生経験をふまえて真剣に語りました。
今、無縁社会とか人間疎外とか人間関係におけるマイナス要素ばかりがクローズアップされていますが、このような若さと老いの知恵をつなぎあう絆の大切さを感じました。
若老サロンは隔月で奇数月の第4土曜日の午後行います。今年の特色は、大学生が企画運営に関わり、今回参加した4大学の学生がキーパーソンになって仲間づくりをしていくこととなりました。
サロンでのグループワーク話し合いはいつまでも続いており、時間で中断するのはもったいないような
雰囲気でした。テーマもなく、結論も出さず、相手の発言を否定せず、自分の言葉で語り、他者の言葉にも傾聴するという自由なサロンです。
何と言っても、終わった後に「心のおみやげ」をもってさわやかな気分で帰れるって、いいよね。
5月22日(土)午後「若老サロン」を開催しました。
山梨県ボランティア・NPOセンターに若者たちと、かつての若者たち?(60代から90代、最高齢は96歳)が24名集い、グループワーク方式で話し合いました。
参加した大学生は、日頃接する機会の少ない高齢者(老人)とのざっくばらんな交流の中から何を感じたのでしょうか。
戦争の体験談、平和の問題、時事問題として沖縄基地の問題、教育の問題、とかく薄れがちな心と心のふれあい、コミュニケーション、失敗を恐れるために臆病な心情や行動など、若いが故の未知の社会に対する「老いの知恵」を受け継いで成長して欲しいと願う大人たちは、自分の人生経験をふまえて真剣に語りました。
今、無縁社会とか人間疎外とか人間関係におけるマイナス要素ばかりがクローズアップされていますが、このような若さと老いの知恵をつなぎあう絆の大切さを感じました。
若老サロンは隔月で奇数月の第4土曜日の午後行います。今年の特色は、大学生が企画運営に関わり、今回参加した4大学の学生がキーパーソンになって仲間づくりをしていくこととなりました。
サロンでのグループワーク話し合いはいつまでも続いており、時間で中断するのはもったいないような
雰囲気でした。テーマもなく、結論も出さず、相手の発言を否定せず、自分の言葉で語り、他者の言葉にも傾聴するという自由なサロンです。
何と言っても、終わった後に「心のおみやげ」をもってさわやかな気分で帰れるって、いいよね。
沙漠を不毛の地にしておいては勿体ない
<PC故障のため時節はずれですが悪しからず。>
猛暑続きの夏でした。まだまだ続きそうですが、台風のおかげで一休み。
今年の夏、中国の内モンゴル自治区恩格貝の沙漠緑化に行ってきました。地表温度は50度くらいなのに、乾燥しているため日本より涼しい感じでした。
「人間は沙漠に勝てる。」と言い切った遠山正瑛先生(山梨県富士吉田市出身)の言葉どおり、1991年からこの20年間、日本沙漠緑化実戦協会は1万人以上の植林ボランティアを送りこみ、360万本のポプラを植えるという大きな成果を収めました。
その結果、20年前は5軒に5/6人余りの遊牧民が住んでいたのが、今は1700人が定住居住し、何と沙漠への出稼ぎが500人と増えているという。沙漠開発は、ポプラの植林、緑化、動く砂丘を止めて畑に変え、野菜農園を開拓しました。今、かつての沙漠は観光産業を興して、観光農園、ビニールハウス栽培、ワイン工場建設、ホテル建設、学校建設などが進み、貯水池にはモーターボートが走るなど、環境客がわんさと来る一大オアシスとなりました。
20年前、遠山先生は延々と広がる沙漠を眺めながら、「この広大な沙漠を不毛の地のままで放置していては勿体ない。沙漠開発は人類の食糧問題であり世界平和への道だ。」と語りました。「何年くらいかかるでしょうか。」との愚問に、「500年か1000年か、そんなことは分からないけど、やればできる、やらなければできない。」「必要だと思ったら考えること、考えていいと思ったらやること、考えてもやらなければだめ。」ときっぱりと言いました。
あれから20年、不毛の地であった沙漠は緑になり、森になり、草原になり、人が集まり、村をつくり、沙漠産業を興して活気にあふれています。散歩をしていたら、給水車で野菜畑やポプラ並木に水をやる人、道路沿いの雑草を刈る夫婦、出稼ぎの宿舎づくりの工事に汗を流す人・・・・出会う人々の笑顔が明るく元氣いっぱいでした。
今後、日本からの植林ボランティアとともに、間伐による森づくりや、農業振興に新たな知恵を出しあって沙漠開発は進んで行くでしょう。すでに中国政府も本腰を入れていますから、遠山先生の実験的な功績が評価され、モデルとして活かされて中国全土に広がれば、広大な緑の大地が実現し、世界でも有数な農業大国となることは夢ではありませんね。
緑色大使の称号を与えられた遠山先生の偉業は、中国の人々に永遠に語り継がれるでしょう。
諺に、「井戸を掘った人を忘れない。」
猛暑続きの夏でした。まだまだ続きそうですが、台風のおかげで一休み。
今年の夏、中国の内モンゴル自治区恩格貝の沙漠緑化に行ってきました。地表温度は50度くらいなのに、乾燥しているため日本より涼しい感じでした。
「人間は沙漠に勝てる。」と言い切った遠山正瑛先生(山梨県富士吉田市出身)の言葉どおり、1991年からこの20年間、日本沙漠緑化実戦協会は1万人以上の植林ボランティアを送りこみ、360万本のポプラを植えるという大きな成果を収めました。
その結果、20年前は5軒に5/6人余りの遊牧民が住んでいたのが、今は1700人が定住居住し、何と沙漠への出稼ぎが500人と増えているという。沙漠開発は、ポプラの植林、緑化、動く砂丘を止めて畑に変え、野菜農園を開拓しました。今、かつての沙漠は観光産業を興して、観光農園、ビニールハウス栽培、ワイン工場建設、ホテル建設、学校建設などが進み、貯水池にはモーターボートが走るなど、環境客がわんさと来る一大オアシスとなりました。
20年前、遠山先生は延々と広がる沙漠を眺めながら、「この広大な沙漠を不毛の地のままで放置していては勿体ない。沙漠開発は人類の食糧問題であり世界平和への道だ。」と語りました。「何年くらいかかるでしょうか。」との愚問に、「500年か1000年か、そんなことは分からないけど、やればできる、やらなければできない。」「必要だと思ったら考えること、考えていいと思ったらやること、考えてもやらなければだめ。」ときっぱりと言いました。
あれから20年、不毛の地であった沙漠は緑になり、森になり、草原になり、人が集まり、村をつくり、沙漠産業を興して活気にあふれています。散歩をしていたら、給水車で野菜畑やポプラ並木に水をやる人、道路沿いの雑草を刈る夫婦、出稼ぎの宿舎づくりの工事に汗を流す人・・・・出会う人々の笑顔が明るく元氣いっぱいでした。
今後、日本からの植林ボランティアとともに、間伐による森づくりや、農業振興に新たな知恵を出しあって沙漠開発は進んで行くでしょう。すでに中国政府も本腰を入れていますから、遠山先生の実験的な功績が評価され、モデルとして活かされて中国全土に広がれば、広大な緑の大地が実現し、世界でも有数な農業大国となることは夢ではありませんね。
緑色大使の称号を与えられた遠山先生の偉業は、中国の人々に永遠に語り継がれるでしょう。
諺に、「井戸を掘った人を忘れない。」
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