2010年6月10日木曜日

マイナスとプラスのもったいない

YBSラジオ放送「私のもったいない」

過日、YBS(山梨放送)ラジオ番組のコメンテーターとして「私のもったいない」について約3時間、若いアナウンサーと一緒に、リスナーがファックス投稿した意見や感想を交えて話しあった。
二人のアナのテンポの速い軽妙な会話についていくのは大変だったが、楽しい時間があっという間に流れてしまった。番組の中でリスナーの意見に対して「もったいない大賞」を選考する役割を与えられた。
「私のもったいない」についてたくさんの方から多様な生活感覚の視点で寄せられた中から選んだのは、桃の摘果作業を手伝って感じたことを言われた若い女性の言葉だった。
「桃の木の枝にたくさんの実がついている。その中から少数の売り物の桃のために小さな桃を摘んでしまうけど、これって何とか活かせないか?」という娘に、「そんな小さな実は使いものにならないよ」という母と娘の会話だ。
売る桃づくりのために小さな桃は捨てるしかない。確かにそうかもしれない。だが、桃の実がなるまでの長い年月と手間暇の時間を考えると、折角生まれた桃の命を簡単に粗末にはできない。何とか小さな桃の命を活かすことはできないかと考える考え方に共感して「もったいない大賞」とした。
番組の締めくくりに二人のアナと話し合った。「もったいない」というと無駄遣いをしないとか、節約するとか、省資源・省エネのように、とかく消極的に受け身の見方で考えて、「そのくらいいいじゃないか。けちくさいよ。」などと言われがちだが、それは今日の便利社会を代表するような言葉だと思う。
確かに、失うことはもったいない。だが、もうひとつの面から考えると、せっかくの命や自然の恵みをそのままに放置したりすること、それらの持っている「有り難い価値」を活かさないことももったいない。
失わないこと、節約することなどの工夫も生活の中の「もったいない」であるが、これらのことがとかくマイナスにとらえられる中で、「有り難きこと、めったにないこと」を活かすこと、新らしい価値あるものを創ること、そしてそれらを分かち合ってともに快適に生きることも「プラスのもったいない」考え方ではないだろうか。
「そうかあ。もったいないってクリエイティブな創造的な考え方、生き方なんだね。」という若い二人の言葉に、そうだ、そうだ、みんなで「もったいないボランティア」の輪を広げましょうと提案して、楽しい番組を終えた。
終わったあと、いろんな人から「ラジオで聞いたよ。面白かった。楽しかった。改めてもったいないって何か考えるきっかけになった。」という感想を聞いて嬉しくなった。

2010年6月9日水曜日

「もったいない」と「ありがとう」

UTYの「きずなエコ」に対する質問がありました。
URL [ http://kizunaeco.blogspot.com/ ]

質問:きずなエコで歌っている「もったいない と ありがとう おんなじ意味かもしれないね」って言う歌詞なのですが、どんなふうに同じ意味なのか教えて下さい。

このご質問に対してUTYさんは、ブログ「きずなエコ」で回答していますが、さらに「もったいない広場」からもコメントを投稿させてもらいましたので、重複して掲載します。(UTYの渡辺さんご了承ください)

<コメント>
「もったいないとありがとう、同じ意味かも知れないね・・。」「どんなふうに、同じ意味?」
ブログ「きずなエコ」への質問に対する答えを見た読者からのコメントです。お答えの内容に尽きると思いますが、ちょっと一言申し添えます。

 私たちは、山梨発の「もったいない運動」を進めていますが、3年余りの年を重ねるにつれて判ってきたことがいっぱいあります。
 「もったいない」という言葉は、日本古来からの生活習慣・もったいない文化だったように思いますが、現代は、「無駄を省く、倹約、節約、ケチクサイ」、「年寄りじみてる、お節介焼き」などと、日の当たらないナイーブなイメージが強いですね。でも、でも「ううん?」そうだろうかなあと腕組みしながら思います。
 私たちの命は、この世に生を受けたことが有り難い存在です。また普段何気なく当たり前に思って消費している生活用品や物資などは、自然の恩恵にあずかって加工され用いられているもので、全て自分が創り出したものではなく他者から与えられたものですね。
 この命、自然の恵みは、本来「有り難い」ものです。希有なことだと言ってもいいでしょう。これらの命や価値を安易な気持ちで粗末にしたり、無駄にして失ってしまったら「もったいない(勿体ない)」ですよね。
 「勿体ない」は、「有り難い」からこそ大切にしたい言葉であり、古来から日本社会に深く根付いていた「もったいない文化」なんです。そこには、自然で素直な感謝と心からの畏敬の念が湧いてきますよね。
 だから、UTYさんが発信している「もったいないとありがとう、同じ意味かも知れないね」という「きずなエコ」のメッセージは、大量生産・大量消費の生活に浸っている私たちが忘れがちな大切なものに気づかせてくれる「心の警鐘」であり、生活を豊かに充実して生きるキーワードだと思います。
 もの(物)を大切にする心がけ、命を大切にする思いや願い、自然の恵みや資源を大切に生かしあう生活習慣など、「きずなエコ」のメッセージから、私たちができる「もったいない運動」の輪を広げていきたいと思います。ぜひ、このことをご理解いただいて、「意(ウィル)のある人々(ウィラー)」が手をつないでいきましょう。

2010年6月8日火曜日

ルー大柴の「MOTTAINAI」メッセージ

6月5日は環境の日記念事業「環境パートナーシップやまなし総会」と「環境フォーラム in やまなし」が開催されました。

 フォーラムでは、ルー大柴氏が「MOTTAINAIも考えよう~人生マウンテンありバレーあり」という演題で1時間半のおしゃべりをしましたが、大半は自叙伝的な生い立ちから今日までの話題をさいて、後半にやっとNHK「みんなのうた」で話題になったエコソング「MOTTAINAI」にたどり着き、自分が身近な生活の中で行っている実践例を語りました。
 話の中で、当日発行の新聞記事から山梨県で取り組んでいる「エコライフ運動」にもふれ、さらに「もったいない甲斐ネットワーク」作成の啓発資料「もったいない運動のすすめ」に掲載した「私のありがたい/私のもったいない」をタイムリーに引用して紹介されたことは、山梨県的な成果でした。
 期待したほどには「MOTTAINAI」のメッセージが強く伝わって来なくて、時間をかけた割りには「勿体ない」とも思いましたが、まあいいか。いわゆる「ルー語」で軽妙に語る話しも面白かったし、少しばかり彼の浮き沈み人生の悲哀・ペーソスを感じる内容が「人生マウンテンありバレーあり」で共感もあったから、これでよしとしようと思いました。 

 「ルー語」で言えば、この講演をチャンスにして、今日の便利社会の中で当たり前のようにライフしているウィー・我々が、デイリーな生活の中でリットルな気づきとスモールなアクションをすることで、もったいないの心を大切に生きていくモチベーションになればベターでワンダフルではないか。ふわふわと飛んでいく軽い風船もエコ・ムーブメントのためにはラージなアドバルーンになるんだあと、アンダースタンド、納得しました。

 フォーラムに先立って行われた「環境パートナーシップ総会」の閉会の挨拶です。
「なぜ、あなたは山に登るのか」と問われれば、「そこに山があるから」という有名なパンセの言葉がある。今、改めて「なぜ、あなたは環境活動に関心を持って行動するか」と問われれば、「そこに必要があるから」と答えたい。
 環境問題をはじめとする市民ボランティアの活動は、必要(ニーズ)の手をつなぎあい、人とひとの心のきずなを確かめながら、ゆるやかなネットワークづくりをしていくことである。このような思いや願い、目的に向かう意思(ウィル)をもった多様な人々(ウィラー)の輪を広げていくことではないか。という言葉で締めくくられました。
 エコミュニケーションを交わしあい、エコライフを実践する県民運動の推進が大切だと思う一日でした。