本を読んでいたら、素敵な「もったいない」に出会いました。
もったいない(勿体ない)とは、仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿が無くなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している。
もともと「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていたが、現在では一般的に「物の価値を十分に生かし切れておらず、無駄になっている」状態や、そのような状態にしてしまう行為を戒める意味で使用される日本語の単語である。(出典:フリー百科事典「ウィキペディア」)
この言葉に出会って考えました。私たちが「もったいない運動」を進めている中で、だんだん気づいてきたことは、「有り難い」からこそ「勿体ない」 ということです。
この二つの言葉の関連性が織りなされながら 「もったいない文化」 が創られていくのだと思います。ものを無駄にしない、節約する、大切にするという日常行為の現象の源流で、本来有り得ないこと、およそ得難いもの、自分の力ではまかなえないことが可能になることなど、「有り難い」ことが自らの身近に訪れてくる、実現することへの「感謝」や「畏敬の念」があるからこそ、それらを失うこと、無くすこと、無駄にしてしまうことが「勿体ない(もったいない)」という気持ちが湧いてきて、これらの日常的な営みの繰り返しの中から「もったいない精神」が醸成され、修得されてくるのだと思います。
だから、大人から子どもたちへの 「もったいないの心のメッセージ」(しつけの教育) が必要ですよね。
「もったいない」とは、省資源、省エネルギー、節約などの言葉に総称されるように、「有り難い」ものの価値を持続可能な状態で保全するという受動的な側面と、さらにせっかく具現化している「有り難い」ものを活かし、さらに価値を創出して高めていこうという能動的な側面があるように思います。
「有り難い」ものの存在を自覚し、その恩恵に感謝しながら、自然との共生、生活文化、地域や故郷の人間連帯 、心のふれあい、家族の絆、健康など、すべての状態をさらにより良くし、向上させようとする 「意思(ウィル・Will)」 を確かめながら、身近で自分ができることをする、そしてその思いや願いを社会に発信・提案していく、草の根の「もったいないボランティア」の輪を広げていきたいと思います。